加茂花菖蒲園花菖蒲データベース https://kamoltd.co.jp/katalog/index.htm



霓裳羽衣   げいしょううい   GEISHOUI

江戸系   晩生   濃紅地に白筋の入る六英から八重咲き。花径は14cm前後の中輪。草丈はやや低く60cm前後。性質は「宇宙」ほど弱くはないが、丈夫な品種とはいえない。

江戸花菖蒲の古花で、「宇宙」と同じく松平菖翁が作出した「菖翁花」と呼ばれる品種の一つ。江戸末期の弘化3年(1846)には作出されていた。

菖翁が作出した品種の中でも「宇宙」同様トップクラスの名花だったようで、菖翁はこの花形を「牡丹咲き」と呼んだ。当時の一般的な花に比べればまさに未曾有の珍花で、これら菖翁の花を見るために花時には大勢の人々が菖翁邸におしかけ、門前市まで開かれた。江戸時代の日本の園芸のレベルの高さが実感できる逸品。




花菖蒲は江戸時代、端午の節句の祭りの花としての性格を持っていた。堀切では、さまざまな切花を江戸向けに生産出荷していたが、花菖蒲も端午の節句の祭りの花として生産しており、それが花菖蒲園に発展していったのが、堀切の花菖蒲園である。

しかし菖翁は、節句の祭りの花という花菖蒲の性格を追求せず、たとえ節句には間に合わなくても、花そのものの美を追求し、花菖蒲を純粋な芸術にまで高めた。また「花菖培養録」などの著作を書き表すことで文化性を持たせ、その業績を熊本に伝えることで、熊本花菖蒲(肥後系)の始祖ともなり、彼自身の思想を後世に残した。それが菖翁が花菖蒲中興の祖と呼ばれる所以である。



菖翁昔語り  その3
嘉永年間頃、(1850年頃)アメリカ、イギリスなど各国軍が続々と渡来する非常事態が起こり、菖翁の家でも本家、松平家のため軍資金の徴発に応じ、家財家宝ともに花菖蒲まで手放さざるを得なくなった。一説には菖翁長男の出陣の軍用品調達のためであったという。花菖蒲の大部分は、堀切の小高園などに渡り、水栽された。菖翁78歳頃の話。(肥後六花考 熊本上妻文庫より)