花菖蒲の専門用語の解説
はじめに

 花菖蒲は桜や椿などと同じく、日本で改良され発達した伝統園芸植物と呼ばれるものの一つです。春の桜と同じで、日本の季節を表わす植物として、また日本的な情緒あふれる植物として、他の植物にはない優位性を持っています。
昨今、行過ぎた欧米化のなかでこの国の良い伝統がどんどん希薄になってきていますが、その反動として、失われつつある日本的な良さを再認識する風潮も高まってきており、花菖蒲は園芸植物の中でも最も和風を感じさせる植物の一つとして、たいへん根強い人気があります。


 ひとくちに花菖蒲と言っても、改良されはじめた江戸時代から、時代とともに作られた様々な品種が存在し、現存する品種数は2000種を越すと考えられています。また花菖蒲園の数も大小あわせ全国におよそ200ヶ所ほどがあると言われ、草物ではトップクラスの園の多さを誇ります。しかし、これほど知られた植物でありながら、その一歩踏み込んだ、この花の文化や、個々の品種の特性については、ほとんど知られていません。


 このカタログでは、販売カタログと言うよりも、なるべく多くの花菖蒲をなるべく実物に近い色彩と大きさで見てもらい、歴史的な価値やエピソードなどのある品種はその部分を詳細に紹介することで、花菖蒲園では知ることのできないこの花の文化を紹介し、この花を次の時代へ伝えてゆくことをコンセプトとして製作しました。

 そのため、カタログでありながら、販売できない品種が多くあります。最新の品種で分譲可能なほど増殖していない品種。病害や販売による売り切りなどで、当園では絶えてしまった品種。他の園などで写真を撮影したが、当園には保存されていない品種。また、性質が弱く保存するのがやっとで、販売するまで増殖させることが難しい品種などです。このため販売カタログとしてはご不満もあるかと思いますが、どうかご理解いただければ幸いです。



「花菖蒲」という言葉

 このホームページでは、花菖蒲を「ハナショウブ」とカタカナで記さずに、「花菖蒲」と漢字で
表しています。これは、花菖蒲が、こんにちこれほどまでに改良発達したベースに、大和時代
に中国から入ってきた、端午節句の厄除けとしての「菖蒲の文化」があり、花菖蒲は端午の節
句の祭りの花として、武士の時代には、「尚武」という語呂合わせから、厄除けの菖蒲と密接な
繋がりの上に花菖蒲は改良され発達してきました。それが「花菖蒲」という漢字のなかに含まれ
ているのです。花菖蒲が単なる園芸植物でなく、日本の伝統文化であるという意味で、漢字で
表記しています。


「花菖蒲」とは
花菖蒲は江戸時代の中頃より、各地に自生するアヤメ科のノハナショウブの変わり咲きをもと
に改良され、発達してきた日本が世界に誇れる伝統園芸植物です。



1 
系統

 花菖蒲は江戸時代から日本の各地で改良され、その地方の美意識や、考え方のなかで改良
されて来たため、改良が行われた地域ごとの特色を持つようになりました。大正時代頃までは江
戸花菖蒲しか一般には栽培されていなかったので、単に「花菖蒲」で通っていたのですが、昭和
に入り熊本花菖蒲が普及したため、はじめて「東京種」、「熊本種」と区分けされたのが系統の始
まりです。その後「伊勢系」、「外国系」、「長井古種」「種間交配種」などが新たに加わりました。


 
江戸系      江戸花菖蒲、江戸種とも言う。戦前は「東京種」と言った。江戸時代から現在の
           東京都葛飾区堀切周辺に、かつて存在した花菖蒲園で栽培されてきた系統など
           をもとに、主に花菖蒲園での観賞を目的に改良されてきた系統。伝統的に江戸人
           士の気質が表れた粋な趣のあっさりした花が多いが、花形に肥後系や伊勢系の
           ような規格がないため、さまざまな花型の品種が含まれる。

   
 
伊勢系     江戸時代後期に松阪藩士の吉井定五郎により栽培がはじめられ、以来この地方
           で発達してきた系統。戦後、三重大学の冨野耕治博士が紹介するまで、
           一般に知られることはなかった。この地方の好みで花弁が垂れる三英咲きが特徴。

 熊本花菖蒲   江戸時代の末期に江戸の旗本松平菖翁が熊本の細川斎護公に花菖蒲を分与
           し、以降藩士の間で改良が進められて来た系統。この熊本の花菖蒲愛好会は
           「満月会」と称し、今日も菖翁の正統を伝え守っている。堂々とした豪華かつ品格
           の高い花容が特徴。熊本以外で一般に改良された品種も熊本花菖蒲と呼ばれる
           ことがあり混乱しており、異論もあると思われるが、このホームページではこのよ
           うに記す。

 肥後系      肥後花菖蒲、肥後種とも呼ばれる。熊本花菖蒲をもとに、満月会以外で改良され
           た系統。戦後は花菖蒲の主流を占めた。豪華絢爛な花容で一般に人気が高い。

 長井古種    山形県長井市のあやめ公園に保存される、江戸古花よりも更に古い時代の花菖
           蒲の姿を伝えている系統。しかし、記録文献がないので、本当に古い時代より存
           在した花かどうかは不明。昭和37年に日本花菖蒲協会の旅行会で山形県長井
           市のあやめ公園を訪れ、他所には無い長井独特の花であるとして、「長井古種」
           と命名、認定した。花形はノハナショウブに近い、単純な小輪の三英花が多い。

 長井系     長井古種をもとに、各地で改良された系統。長井古種と見た目は変わらない品種
            もあるが、「古種」とするのはどうかという判断から、こう位置付ける。

 原種       花菖蒲の原種、ノハナショウブのこと。産地により形質が多少異なり、色変わりが
           稀に発見され、品種名が付けられることがある。


 古花       江戸時代から大正末期頃までに作出された古い時代の品種を古花とする。江戸、
           熊本、伊勢の品種に古花が存在する。江戸時代の後期に作出されたと考えられ
           る文化財的な品種も多い、品種保存の対象である。
 
 米国系      名前の通り、米国にて改良された系統。

 種間交配種   花菖蒲とキショウブ、カキツバタとの人工交配種。


  


2 花期

極早生 関東以西の一般暖地で、5月25日頃までに満開を迎える品種。

 早生  関東以西の一般暖地で、6月1日頃に満開を迎える品種。

 中生  関東以西の一般暖地で、6月
7日頃に満開を迎える品種。

 中晩  関東以西の一般暖地で、6月10日頃に満開を迎える品種。

 晩生  関東以西の一般暖地で、6月15日頃に満開を迎える品種。

 極晩生 関東以西の一般暖地で、6月15日以降に満開を迎える品種。

 と書きましたが、その年の気候条件で開花期はかなりばらつきますので、
 全く厳密なものではありません。北日本では、多くの品種がほぼ同時に咲
 くようです。




3 花の作者

各品種の解説に登場する、花菖蒲の品種改良家及び関係者です。代表的な人物
  のみ紹介します。

 松平菖翁(松平左金吾定朝、菖翁)
 江戸時代後期の旗本。久松松平、「菖翁」は号 安永2年生(1773)〜安政2年没
 (1856)邸宅は麻布桜田町(現中国大使館近辺)。西丸御目付、禁裏附、京都町奉
 行などの重職に就き、10数年間京都にも住んだ。
 若い頃から花好きであった父・定寅を助け花を作る。その当時、父が実生した花菖蒲
 を、父の亡き後も手がけ、職務の傍ら以降50余年にわたり花菖蒲の改良を行った。

 花菖蒲は端午の節句の祭りの花であったが、菖翁は花そのものの美を追求し、花菖蒲
 を純粋な上流階級の芸術にまで高めた。それまでの単純な花形の花菖蒲を今日の品種
 と大差ないまでに一代で改良を成し遂げ、「花菖培養録」「花菖蒲花銘」などの著書
 を著すことで花菖蒲に文化性を持たせ、熊本に自作の花菖蒲苗を譲ることで、熊本花
 菖蒲の始祖となり、自らが築き上げたこの花の文化を後世に伝えた。花菖蒲の発達に
 ひじょうに大きな功績を残した花菖蒲中興の祖である。
 翁の作花は300品種にせまり、現在でも10数品種が現存し、江戸花菖蒲でも特別に
 「菖翁花」と呼ばれている。

 小高園 小高伊左衛門
 葛西領堀切村(現在の東京都葛飾区堀切)にて、江戸時代の天保年間(1830〜43)に
 花菖蒲園を開園した。わが国最初の花菖蒲園。当主伊左衛門は代々襲名。江戸時代後
 期には広重や豊国の浮世絵に描かれ、明治大正期には最盛期を迎えた堀切の花菖蒲園
 の代表的な園。菖翁の品種も、翁の亡き後遺族によって小高園に引き渡された。しか
 し、昭和17年(1942)、戦時中の食糧難から田畑化を余儀なくされ、100年来の歴
 史に幕を閉じた。

 満月会
 熊本市にある花菖蒲の愛好団体。江戸の嘉永年間に、松平菖翁が熊本藩主細川斎護公
 の要請に応じ、自作の花菖蒲を熊本に分与し、当時は「花連」の一部の花菖蒲部会と
 して、藩士吉田潤之助以下、熊本藩士や花菖蒲愛好者らによって花菖蒲の改良が行わ
 れた。この「花連」という組織は、明治の幕藩体制崩壊とともに消滅するが、花菖蒲
 部会は「満月会」と改名し、こんにちまで存続している。門外不出の固い掟の中、菖
 翁の正統を今に伝えている。

 西田信常
 
信常氏は熊本で生まれたが、大正12年に横浜で植木業を営むにあたり、熊本満月会
 に在籍した父、貞幹とともに横浜に移住し、そのとき熊本から熊本花菖蒲を横浜に持
 ち出し、「衆芳園」を開業し、熊本花菖蒲の販売を行った。それまで熊本花菖蒲など
 見たこともなかった関東の人々は、その豪華な花におどろき、またたく間に広まった。
 これが日本花菖蒲協会設立の原動力となるとともに、戦後の肥後花菖蒲と花菖蒲ブー
 ムの基礎となった。

 宮沢文吾
 濃学博士、農業と生物学の広汎な分野に著名な業績を残され、1964年に亡くなら
 れた。花菖蒲については、大正時代中期、神奈川県農事試験場(現 神奈川県立フラ
 ワーセンター大船植物園)にて品種改良をされ、その成果は昭和11年に「農事試験
 場成績 花菖蒲の品種改良成績」という本に纏められた。この本には、新花300品種
 が紹介されている。宮沢氏が大船で作出した花菖蒲は全て江戸系で、こんにち80品
 種ほどが残り、大船植物園に保存植栽され「大船系」と呼ばれている。しかし、一般
 にはこの大船系品種は普及しておらず、「揚羽」「荒磯」「無双」などの品種がわず
 かに普及しているのみである。   

 平尾秀一
 農学博士。戦後の昭和30年頃から50年頃にかけて花菖蒲を改良され、戦後の花菖蒲ブ
 ームの火付け役となり、花菖蒲の愛好団体「日本花菖蒲協会」を先導された。
 また、花菖蒲のみならず、ネリネ、リコリスほか多くの園芸植物を改良された。その
 傍ら、国内外を問わず、育種園芸を志す人たちに惜しみなく情報や種苗を提供し、多
 くの園芸家を育てられ、戦後の日本の園芸界に多大な功績を残した。

 冨野耕治
 農学博士。三重大学農学部に籍を置き、戦後、それまで一般に知られていなかった伊
 勢花菖蒲を紹介し、伊勢花菖蒲の改良を行った。

 光田義男
 名古屋市に住み、戦後間もない頃から平成10年まで、600余りの品種を作出し、戦後の
 花菖蒲界に大きな功績を残した。氏の作花は「光田系」とも呼ばれ、豪華絢爛で格調の
 高い肥後系の極大輪花が特徴。氏の作花は、今日でも一般愛好家に人気が非常に高い。
 2000年の7月に亡くなられた。

 吉江清朗
 戦前、神奈川県農業試験場に在籍して花菖蒲の品種改良を行った宮沢文吾博士の、大分
 での早生花菖蒲品種改良の後を継ぎ、1962年頃から改良に着手し、1970年代にかけて多
 くの極早生系の江戸花菖蒲を作出した。これらは「吉江系」と呼ばれた。氏は長野県辰
 野町に住み、球根ベゴニア、マツモトセンノウをはじめ、多くの園芸植物の改良を行った。

 田中信一
 三重県松阪市で高校教諭を務める傍ら、伊勢三珍花の保存に努められた。伊勢花菖蒲の
 古花の収集及び伊勢花菖蒲に関する文献の収集を行い、その成果を1996年から20
 00年にかけて、日本花菖蒲協会会報に寄稿された。これらは、伊勢花菖蒲古花の品種
 と歴史を知る上で重要な文献となった。

 清水 弘
 神奈川県相模原市在住。花菖蒲のみならず、広くアイリス全般に精通し、花菖蒲と他の
 アイリス属植物との種間交配も多数作出している。





4 花の形状に関する用語

三英(さんえい) 大きな花弁が三枚のもの。

 六英(ろくえい) 大きな花弁が六枚あるもの。

 八重(やえ)   おしべなどが弁化して、花弁が9枚程度になり重なるもの。

 平咲き(ひらざき)花弁が水平に広がり、あまり垂れないもの。

 椀咲き(わんざき)椀を伏せたような花形に咲くもの。例 雲衣裳、濡燕

 垂咲き(たれざき)伊勢系によく見られる、花弁がかなり垂れ下がるもの。

 深咲き(ふかざき)垂咲きと同じような意味だが、それよりもどっしりと垂れる感じ。
 例 豊葦原

 受咲き(うけざき)平咲きの花が水平以上に花弁が上に向かって伸びるもの。
 例 酔美人

 台咲き(だいざき)雌しべが弁化して花の上にまた花があるような感じで咲くもの。
 例 八重勝見

 多弁花(たべんか)八重の内に入るが、花弁だけでなく雌しべも本数多く上がるもの。
          例 天女の冠、日和田四英

 正花(せいか)  熊本花菖蒲と肥後系に使われる表現。本花(ほんか)とも言う。
          花容が整然と整っており、花弁がよれたり、波打つなどの癖がなく、
          雄雌の蕊も整っており、異様な咲き方をしないことを言う。代表的
          品種「玉洞」「石 橋」など。

 働き花(はたらきばな)熊本花菖蒲と肥後系に使われる表現。
正花と異なり、花弁に変化
               のあるものを言い、花弁に凹凸があり、また変形の弁となり、花弁が互いに
               重なり合ったりしているもの。代表的な品種としては、「西行桜」「滝の瓔珞」
               などがある。単に「働き」という表現に使うこともある。
               これらの花容表現は、熊本花菖蒲が発達した熊本で始まったたものだが、
               今日一般には殆ど使われなくなった。

 鉾(ほこ)     内花被のこと。 三英の花形で、花の中心で垂れず立ち上がる3枚
           の小さな花弁。

 芯(しん)     雌蕊のこと。

 旗弁(はたべん) 雄蕊が変化して、大きな花弁にまでならないまでも、小型の花弁に
          似た形状にまで変化するもの。例 佐野の渡

 蜘蛛手(くもで) 蕊片の先の毛羽立ったような細かな切れ込み。伊勢系独特の特徴の
          一つ。




5 花径関する用語

 花径(かけい)   花の直径、大きさのこと。このホームページでは、花を真上から
           見たさし渡しの長さで記述しています。以下にだいたいの目安を
           記しましたたが、栽培条件や出来不出来によりかなり変化します
           ので、おおよそのものとお考え下さい。開花1日目と3日目で花
           径も変化しますが、その最大となった大きさです。
           また、巨大輪と極大輪では、極大輪の方が大きい場合を指すよう
           ですが、このあたりは作者の感覚ですので、あまり厳密な違いは
           ないようです。

 小輪        花径が10cm前後まで

 中輪        花径が15cm前後まで

 大輪        花径が18cm前後まで

 巨大輪(極大輪)  花径が20cm前後またはそれ以上になるもの




6 花色に関する用語

 砂子(すなご)  砂子絞りとも言う。花弁にひじょうに細かな点絞りが密に入る。

 無地(むじ)   花弁の色彩が、黄色の目はのぞいて一色のみで複数の色彩を含ま
          ないもの。例えば紫一色の花色のものを「紫無地」と言う。



7 そのほかの用語

 実生(みしょう)  種を蒔いて咲かせた苗や花を指す。「○○という品種の実生。」、
           「実生苗」など。

 草丈(くさたけ)  このホームページでは花茎長のことして考えている。一般的には
           葉丈の長さのことだが、花菖蒲では葉より花茎が高く抜き出る品
           種が多い。


8 品種解説文書について

個々の品種の解説に関しては、日本花菖蒲協会発行の「花菖蒲品種総目録」を用いていますが、この本のデータ元となっている情報は、個々の育種家の発表時の主観的な品種解説文書であり、客観的な規格に従った情報ではありません。例えば「カトレアピンク」などは、「灰色がかったピンク」と表現できるほどのものですし、「中輪」と「大輪」の明確な区分けもありませんので、ある人が見れば大きかったり、小さかったりするといった程度のものであるということを、お含みおき下さい。

 また、個々の品種のコメントなどについては、当ページ担当者の私(永田)の書いたものですが、花菖蒲の見方考え方は人それぞれですので、この部分は私の個人的な偏見もかなり含まれています。ですから、あくまでも花菖蒲の切り口の一つくらいに、参考程度にお考え下さい。性質の強弱や繁殖についても、私が感じたおおよそのものです。異論のある方もおられるかと思いますが、ご意見いただければ、書き換えや付け足しは十分可能ですので、宜しくお願い申し上げます。



9 画像の花色について

 花の色を表現するということは、ほんとうに難しいことです。とくにこの花は、開花1日目と2日目、3日目で、花色が変化してゆきます。開花1日目は濃く、時間の経過とともに薄くなります。
開花時の温度によっても、低温で開花した方が濃くなり、高温下では薄くなります。屋外で咲かせた場合と、部屋の中で咲かせた場合では、室内で咲かせた方が淡くなります。
また、撮影される状況によっても、例えば晴天のときと曇りのとき、朝と夕方では、花色は全く異なって写されます。写真を撮影するときは、花曇りの日の午前10時頃を最高として撮影していますが、それでも一様な光線下で撮影しているわけではありません。

 ですから、その色彩を正確に表現することは不可能と言って良いでしょう。しかも使っているディスプレーによってもかなり変化します。それに、このページの画像の花の色は、私の記憶にあるイメージの表現ですが、品種数も多く、無意識に美化しているものもありますし、もとの写真が悪く、本物に近いと思われる色彩がうまく表現できなかった画像もあります。ですから、画像の花の色は、厳密なものではなく、だいたいのものであるとお考えください。