虎 嘯   こしょう    KOSHO

江戸系   薄納戸紫に淡藤色〜白の絞り、六英丸弁椀咲き。花径は約16cm程度の中輪。
芯は青紫色。草丈は100cmを超える。

江戸古花のなかでも松平菖翁の作出した「菖翁花」と呼ばれている品種の一つで、この菖翁花は
現在10数種類が現存しているものと思われる。この品種は菖翁の花菖蒲品種目録「花菖培養録」
に記載され、菖翁花ではよく知られている「宇宙」などよりもはるかに栽培の少ない希少な品種である。

この写真は東京の明治神宮御苑花菖蒲園で撮影したが、この園は明治天皇の勅命で造られ、明治
時代の中期に堀切から品種を導入し、以来明治天皇所縁の花々として、こんにちまで保存されて来た。
このような特別な場所だからこそ、このような品種も保存されているのだが、他の一般の花菖蒲園では殆ど
見ることは出来ない、文化財的な品種である。

しかし、神宮の花菖蒲園へ行っても、品種ごとの解説がなされているわけではない。このホームページ
を作成したねらいは、そんな花菖蒲園へ行ってもわからない、花菖蒲の個々の品種の文化や性質について、
詳しく紹介することにある。



菖翁昔語り その1
「菖翁」とは号で本名ではない。本名は松平左金吾定朝という。 江戸末期、江戸麻布に住んだ2000石取り
の旗本である。

菖翁と寛政の改革を施行した幕府老中の松平定信とは、同じ久松松平で親戚筋に当たる。菖翁と定信は
15歳ほど定信の方が年上で、菖翁は子供のころから「左金吾、左金吾」と言って可愛がられたそうである。
菖翁はこの松平定信の片腕として働き、西丸御目付、京都禁裏付、京都町奉行などの要職に就いた。
定信が晩年に住んだ築地の浴恩園にも花菖蒲園があるので、もしかしたら浴恩園の花菖蒲は、菖翁が若い
頃育種した花であるかもしれない。

久松松平とは、家康の母於大の方が家康父広忠と戦国時代の政略的な事柄でやむなく離縁させられた後、
知多郡阿久比の久松俊勝に再嫁し、そこで生まれた定勝、勝俊、康元ら家康の異父弟に、後に家康が松平
姓を与えたもの。

簡単に系図を書くと下記のようになる。